屑ですって

id:using_pleasure:20050614:1118735780

wolf69r 『とりあえずkyoumoeみたいな屑は死んでほしい』 (2005/06/15 23:11)

何がどうとりあえずなのか知らんが、お前が先に死んだら考えておいてやるよ。
考えるだけだがな。



文化的、芸術的だからという理由で落書きを消してないのなら話は分かるが
それらを全て消している時点で「残すべきものではない」と判断されてることに気づかないのだろうか。
俺は元記事の「知的レベルが落ちた」みたいな言い方は間違ってるとは思うが(最初から馬鹿一確)、それに反論してる馬鹿が落書きをアートだの何だの言って擁護しているのが気に食わない。


id:rir6:20050616

まず「芸術性」についてだけれど、一番最初に「芸術性」なんて曖昧な言葉を出したのは河北新報の記事ですよね?(つまり「芸術性」を重要視しているのは河北新報の記事)で、それに対してid:using_pleasure氏は「"芸術性云々を言うんだったら"芸術性を低下させたのは取り締まる人間の方だ」と言うことで、河北新報の記事の語りを、その記事を書いている人の立場を忠実に遂行することによって、その立場と語りの矛盾を示している訳です。

読解力とかそういうものはもう日本にはないのだろうか。
元記事の芸術性に言及している部分を抜き出してみる。

もちろんどんな内容であれ犯罪だが、以前の落書きはメッセージや芸術性を感じさせるものも少なくなかった。

「2年ぐらい前までは芸術的な落書きもあったが、最近は単純なものばかり」

「落書きはすべて許せないが、最近は美的感覚のないものばかりで、なおのこと頭にくる」

これのどこが重要視してるというんだろうね擁護派の馬鹿どもは。
これらの意見を集約すれば「落書きは芸術性があろうがなかろうが犯罪であり許せない行為」であることは容易に推測できるだろう。
というか、そうとしか書いてない。
それなのに「芸術性」という単語と「知性低下」と言われてプルってる感情がミックスされて出てきたのが擁護派の「取り締まったから単純化した」というくだらない主張なわけだ。

要するに、id:using_pleasure氏は本当は「芸術性」なんて余り信じていないんだけれど

果たしてそうだろうか。
むしろ我々よりも信じてしまっているのではないか。
だからこそ『「芸術的だ」などと称賛』しているという誤読を招いているのではないか。

この記事でid:using_pleasure氏が言うには、現在の落書きは若者に対して今までの価値評価システム(=就職)が壊れてしまった時代において、オルタナティブ(代替的)な価値評価システムとして機能しているというのです。そしてそれ故に、例え取り締まりを強化しても落書きは無くならない(他の価値評価システムが無いから)だろうし、さらにもし厳重な取り締まりをしてこの落書きという価値評価システムを無理矢理壊してしまうならば”若者のアノミーはますます進行し行き場がなくなるだけ”なのです。

まったくもって話にならない。
某無差別殺人宗教団体についての議論が活発だった時期にはこんな詭弁を毎日のように目にしていたような気がする。
高学歴の人間が社会に嫌気が差して云々というやつね。
そういうのは完全に後付けの言い訳にしか過ぎないわけで、価値評価システムが壊れたからといってじゃあ誰も就職してないのかといわれたらそんなことはないし、
壊れたから落書きも許されるなんてのはあり得ない話なわけだ。
それくらい理解できて当然だろう。
何が「行き場がなくなる」だよ。
行き場がなくなったら地下鉄に毒ガス撒いたり小学校に乱入して子供殺していいのかよ。
理性はもはや死語なのか。

この人達の主張はただ一つ、「とにかく法律違反なんだから取り締まれ!」それだけです。その法律を遂行することが本当に正しいのか、そしてそれによって問題が解決するのか、そんなことは一切考えません。彼らは一見利己主義的に見えますが、しかしその実、問題が真に解決しなければ落書きが無くなることもないんですから、結局その人にとっても不利益になる(=また落書きされる)わけで、利己主義でもない。敢えて言うなら、法ボケなのです(法ボケの人達は往々にして「取り締まる側」に対しては法を遵守することを要求しないんだけどね)。

しかし法行為の正当性というものはあくまでそれが市民の為になるからであって、法そのものだけでは正当性は生まれない訳です。。そして「2.価値評価システム」にも書きましたが取り締まりを幾らやったって他の価値評価システムが出来ない限り落書きは無くならないのですから、落書きを取り締まることは無駄であり、市民の為にはならないのですから、取り締まりという法行為(と、それを支持すること)には正当性は生まれないのです。

正しくないのだったら正しい方向に持っていくのが筋だろう。
正しくないから破ってもいいというのはまさに「知力低下」の最たるものではないのか。
何が法ボケだよ。
たとえば明らかな悪人(だと一般に思われている人物)を「こいつの言ってることは間違ってる、死んだ方が世のためだ」と殺してしまったら
それが社会的に正しかろうが間違ってようが捕まるわけだ。
落書きだって同じことだろう。


そもそもなぜ落書きする奴に一般市民が気を使う必要があるのか。
「いくら消してもこの人たちは就職という価値評価システムが再構築されない限り落書きをしますよ、じゃあ僕らが責任もって彼らを手取り足取り導いてあげましょう。それがこの問題を解決する唯一の方法なのです!」
頭おかしいんじゃないのか?
つーか、「落書きを取り締まることは無駄であり、市民の為にはならない」ってどういう意味?
つまり落書きを取り締まらないのが市民の為ですよって事か?
馬鹿も休み休み言えよ。


あーもう面倒くさい。
もう馬鹿を指摘するのにも疲れたので落書き馬鹿集団にはぜひ歴史遺産に落書きをして欲しいと思います。
海外でピラミッドやタージマハルやグラウンドゼロ(アメリカに限らず)に落書きしてきて欲しい。
そういうものに落書きをして、国際的に大問題になってもなお「価値評価システムが〓」と言えるのだったら認めてあげます。
やっていいことと悪いことの区別がつかない馬鹿にまさか場所の区別がつくわけないだろうしな。